連載企画 わたしのキャリアプラン 本部での年金相談業務が研修講師のきっかけに
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複数の資格取得や投信セールスのための勉強に励まれている方は多いでしょう。多忙な業務のかたわら、効率よく勉強するにはどんな方法が有効なのか。どう時間を捻出すればよいのか。人事異動もあるなか、どのようなキャリアプランを描けばよい? 結婚や出産後も働き続けるには? ……などなど、身近な同僚や上司に聞くには少し勇気のいる素朴な疑問に、全国の同期や先輩方がどのようにキャリアを重ね、課題をどう乗り越えてきたのかを、匿名で打ち明けます。
第3回は、ねこみみさん ねこみみさん(50代・女性)におうかがいしました。

名前
ねこみみさん(50代・女性)
入社
1992年
業種
証券
経歴
地方銀行に入行後、営業や窓口業務、本部での年金相談業務などを経て個人渉外を担当
現在
2021年より関連会社の地銀系証券へ出向。ゴールベースアプローチを踏まえた資産形成の提案を行う

教育訓練給付金制度を活用して資格学校を受講

──宅地建物取引士や社会保険労務士、FP1級などをはじめ数多くの資格を取得していらっしゃいますね。勉強方法や取得までに苦労した点などを教えてください。

宅地建物取引士は、信託業務担当になった際に土地信託など宅建知識が必要となったこともあり受けようと思いました。帰宅後と休日に問題集を中心に勉強し、資格学校の短期講座と模試を受講しました。

社会保険労務士は、20代のうちに受かることを目標に勉強して2年目に合格しました。独身で会社から徒歩5分の借り上げマンションに住んでいたため、時間が作りやすかったことも利点かもしれません。

1年目は独学で問題集をひたすら解いて、完璧に準備できたつもりでしたが、改正法の勉強が足りずあと2点で落ちました。2年目は教育訓練給付金制度を活用して、宅建でお世話になった資格学校で受講。平日は、出社前+出社後始業まで+昼休み+帰社後に資格学校に通い、計7.5時間の勉強時間確保しました。休日は資格学校に通いつつ、徒歩で移動中にウォークマンで講義のカセットテープを聴くなどしました。飲み会には参加せず、テレビは一切見ませんでした。ちなみに費用は制度で賄えました。30歳の誕生日前に合格通知を受け取れ、晴れて希望の職種に就くことができたのは良い思い出です。

FP1級のための勉強は、産休明けの復職後からスタート。19時に帰宅し20時に子供の添い寝で一緒に就寝してから、夜中12時に起きて3時まで勉強して就寝。6時に起床して往復の電車でも勉強に集中しました。この間、通信講座も受講しつつ、過去問を完璧にするまで繰り返しました。全国1位で受かったと噂の先輩のアドバイスでFPジャーナルを購読して2次試験に備え、無事1発合格しました。

系列証券会社後に出向してからは、管理職で取得が推奨されているとのことでITパスポートを取得。こちらは通勤電車が主な勉強場所で、問題集は3周しました。

日々の励みは同じ総合職の女性7名とのメールの「交換日記」

──投信販売担当者(銀行員)としてのキャリアで思い通りに進んだこと、逆に進展が難しかったことなどをお聞かせください。

私が初めて配属された当時、女性の先輩でロールモデルと呼べるのは、人の上に立って遠慮なく発言できる強いタイプか、1つの業務に長年携わっているタイプのいずれかでした。私自身は総合職として入行したものの、人の上に立って発言できるタイプではないし、かといって男性スタッフと同じように法人の社長に付き合って飲み会や麻雀に付き合うことも現実的ではありませんでした。

営業目標は先輩から伝授された「お願い営業」で達成し続けていましたが、そのやり方にはずっと疑問を持っていましたし、将来のキャリアプランがなかなか描けず、普通の支店の預貸業務は長く勤めていける自信がありませんでした。しかも、支店内では誰にも相談できる状況ではなく、また家族にも心配をかけたくなかったので、会社の話はできません。年30日程度、集合研修で集まる同期に会えることと、総合職の女性7名で交換日記を行内メールで回付するのが日々の励みでした。

育休復帰後に預かり資産専担者に任命され、新聞にも掲載

──ターニングポイントはいつだと考えられますか。その際、サポートしていただいた方はいらっしゃいますか? 

転機は月に1回、本部からやってくる社会保険労務士が開催する『年金相談』です。支店で若手が担当となりお客様の誘導を行っていると、お客様はいつも感謝してお帰りになります。「地域のお役に立てるように」と選んだ地方銀行で自分のできることがあるのか、花形の融資でなくてもニッチな業務であっても生きる道はないかと迷っていたところ、「年金相談ならお客様に感謝される。個人のお客様のお金の悩み事の相談に乗るとか、いつかそんな仕事ができたらいいな」との気持ちが芽生えていきました。

ちょうどその時期に、お客様の「私の年金はどうなっているの。あなた銀行員だからわかるでしょ?」との問いかけに答えられなかったことも背景にあります。「こんなにお金持ちでもお金の心配をするんだ。私に知識があったら安心していただけるようなお答えができたのに」と残念に思った気持ちはずっと心に残っていました。

入行3年目に本部へ異動後、そのお客様が亡くなったとの報せがあり、恩返しのつもりで「社会保険労務士の仕事をしたい」との思いが強くなったのです。「近い将来年金相談に携わりたいので、今は社会保険労務士の勉強をしている」と上席にも話をするなど行動にも移しました。

そして社会保険労務士の試験に合格し、30歳で念願の年金相談業務に就けました。幸い、本部勤務になってから、伝統的銀行業務である預貸以外の業務に携わる方々との交流が増え、また年金受給者へのセグメント営業に取り組んでいた時期であったことも上席の理解を得やすかった理由でしょう。総合職の同期の間で昇進に差がつき始めるころで、偉くならなくても、このまま勤務労務士として銀行の表舞台に立たずとも、「スペシャリストの銀行員」としてやっていきたいと思いました。

──お客様の悩みに真摯に向き合い、専門的知見を活かしたアドバイスで直接感謝される仕事は素敵です。

もう一つの転機は、再び営業店への配属で預かり資産(投信、保険、債券、外貨預金、金融商品仲介)渉外になったことです。結婚すると異動が出ることが多く、やはり営業店へ異動の辞令が出ました。10年半ぶりの営業店で、従事したことのない預かり資産の担当となったことは不安でした。「金融ビックバン(1996~2001年度にかけて行われた大規模金融制度改革)」で投資信託と保険を販売するようになりました。

勤務し始めると支店の方々は初任店とは違って優しく協力的で、とても楽しく仕事ができました。支店長は「お子さんが小さいんだから定時退行でいいよ」と残業や飲み会不参加を認めてくださり、課長は「ゆっくりでいいから」と営業に不慣れな私をいつも見守ってくださり「今度はこんな視点で訪問してみたら」などお客様リストの進め方を指導してくださり、同行訪問で育ててくれました。今も私の描く上司の理想像です。

同僚も「投資信託とは」「分配金とは」など基本的なことから販売事務まで優しく教えてくれ、販売に同席させてくれました。投資信託は毎月分配型の残高が増え出し、値上がりもしたので「いい商品を紹介してくれてありがとう」とお客様には喜んでいただきました。リーマンショック前で、何を買っても上がる時期だったことも幸いしたと思います。

印象に残っているのはパートさんたちの言葉です。「正社員とパートのお給料は全然違うから絶対に辞めないほうがいい。仕事と子育てが大変なのは子供が小学校までのほんの数年だから。私たちも辞めなければよかったと思っている」と。頑張って続けていこうと思うようになったのは、この支店での経験のおかげです。

その後、地区ごとに本部所属の預かり資産専担者が配属されることになり、私も任命されました。複数の支店を担当し、アフターフォローや富裕層営業として、預かり資産の営業を行います。過去には、日本経済新聞に「FP1級保有者や社会保険労務士など専門的な知識を持った預かり資産専担者のチーム」として掲載され、非常に嬉しかった記憶があります。

ねこみみさんへのインタビュー【前編】はこちらから矢印
ねこみみさんへのインタビュー【後編】は●日公開こちらから矢印

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『フィナンシャル・マーケティングWEB』では、投信販売に関わる方が、これまでに取得した資格などをご自身のキャリアプランにどう活かしているかに関するエピソードを募集しております。

採用させていただいた方には3000円のクオカードを郵送いたします。

※複数名の募集があった場合は抽選とさせていただきます

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