地政学的転換で日本への円高圧力が緩和される歴史的変化も

岡三証券
グローバル・リサーチ・センター
理事長
高田 創
今年8月15日は、変動相場制に向かう大きな転機となった1971年8月15日のニクソンショックから50年だった。
振り返れば半世紀にわたる円ドル為替の歴史は、日本にとって米国との通商摩擦とそれに伴う円高圧力であった。日本は米国の経済的脅威で一時仮想敵国の立場にまでなり、米国貿易赤字是正の観点から円高が迫られてきた。
今日、日本の米国経常赤字に占める割合は大幅に低下し、米国の仮想敵国は中国に転じた。依然、円高不安は存在するものの、日本が通商問題でターゲットになり円高で迫られる「円高ハラスメント」リスクも大きく後退した。ただし、長年続いた米国からの「円高ハラスメント」の結果、日本企業や投資家に生じた「心の病」、「円高トラウマ」は根強い。
以下の図表は為替の「円高トラウママップ」で、円からドルに投資し円高に振れた期間を青色に示して円高へのトラウマ度合いとしている。1980年代以降、トラウマの時期が続いたが、過去8年のアベノミクス以降・黒田緩和下、トラウマ意識にも変化の兆しが生じている。ニクソンショックから50年、円高トラウマはようやく節目を迎えている。
【図表1】為替のトラウママップ
(出所)Refinitiv(作成)岡三証券 ※米ドルをドルコスト平均法で毎月一定額円買い付けた場合の期間別リターンの複利年率換算値。マップ内数値の単位は%。金利は考慮していない。投資開始時点は各初年度の1月末、その後は12月末時点を用いて算出。トラウマ期間は投資開始年におけるマイナス利回りの年の比率を示す
為替の円安が企業収益底上げに寄与
筆者は2021年を展望し、基本的に日米の長期金利差から緩やかなドル高を展望してきた。以下の図表はドル円相場と想定為替レートの推移である。
2021年7月の日銀短観での企業の想定為替レートは105円台であるが、実際の為替水準は110円台と5円近い円安にあり、その分が輸出企業中心に企業収益改善に向かいやすく、日本の株式市場の潜在的な底上げ要因にもなりやすい。
【図表2】円ドル相場と想定為替レート推移
(出所)日本銀行、Refinitiv(作成)岡三証券 週足、期間は2012年初~2021年7月第4週。※想定為替レートは日銀短観の製造業、大企業、年度計画、四半期ベース
日米の金融政策格差が円安圧力に
筆者が2021年の円安バイアスを展望したのは、日米の金融政策格差、日米金利差によるものだった。2021年になって3月にかけて1.7%台まで上昇した米国長期金利はその後、一転し1.2%割れの低下にまで向かった。
それでも、比較的円安が続いたのは、日米双方の金融政策格差の影響が大きいと考えられる。米国の金融政策は出口戦略への思惑が高まる一方、日本の金融政策は緩和姿勢を維持し、長期金利も、依然、YCC(イールドカーブコントロール)で上昇は限定されやすい。2021年3月19日の日銀の金融政策の点検作業では指値オペ導入で金利上昇の歯止めを印象付けた点もサポートである。
アベノミクス・黒田緩和は円高・株安の連鎖を止めるものだった
日銀が2021年3月の金融政策「点検」で示した計量分析では、金利低下が需給ギャップを改善させる波及効果は資金調達コスト経由が33%、金融資本市場経由(為替20%、株価36%)が約6割となっている。
金融政策での金利引き下げ効果は貸出し等を通じた資金調達コスト低下による信用チャネルとされやすいが、企業が資金余剰に転じて縮小均衡にあるバブル崩壊後の状況では、外需を確保すべく為替に依存するか、株式市場を通じた資産効果が重視された。黒田総裁率いる日銀の本音として「円安・株高」を志向してきたことを示すものとして注目される。
黒田緩和は円高是正のショック療法、そしてトラウマ対応の長期戦に
黒田緩和の8年間は円安を起点とした好循環実現に主眼が置かれていた。その前の白川方明総裁の時代との決定的な違いは為替に対する対応にあったとも考えられる。黒田東彦総裁は元財務官の立場として白川総裁時代の日銀の対応を反面教師として、異次元の金融緩和により市場にサプライズを与えるショック療法で円安への転換をはかってきた。
その後、日米の地政学的環境変化もあり、米国サイドも一定のドル高を許容するなか円高回避状況が続いている。ただし、長年続いた円高トラウマの除去にはさらなる時間軸が必要との認識がアベノミクス以降、菅義偉政権に至る政府と黒田総裁率いる日銀との間に共有されているとみられる。8年前の黒田総裁就任当初はショック療法での短期戦の姿勢であったが、その後、円高トラウマを癒すべく時間をかけた長期戦に転じている。
日本企業サポート3要因、①利払い低下、②法人税負担軽減、③円安サポート
振り返れば、1970年代以降のグローバルな潮流は、金融政策重視で企業の金利負担低下と法人税引き下げによる税負担低下の2重のサポートによる「企業丸儲け」をもたらした。今日、日本では第3のサポート要因、為替円安要因が加わっている。日本企業を巡る3重メリットが加わっているだけに、企業収益底上げに伴う株価サポートにつながりやすい。
同時に、円高トラウマからの転換は日本の投資家が海外株中心に外貨建て資産投資に向かう可能性を示すものである。ニクソンショックを経た50年、為替の円高トラウマ意識の転換は日本企業や投資家行動に変化をもたらすと期待される。